今日の民話新春特別号:糸車お化け覚書

 あけましておめでとうございます。

 ほとんど機能していなかった当ブログですが、今回は「今日の民話」の新春特別号と題しまして、度々お話させていただいている糸車おばけについて、改めてご紹介しようと思います。


 とは申しましても、別段新しい発見があったわけでも、調査に特別な進展が見られたわけでもないので(そもそも調査と言えるかも怪しい)、散漫な内容になってしまうかも知れませんが、何卒お付き合いください。



1.糸車おばけ「じんきち変化(ぼんぜん猿)」について

 事の起こりは昨年6月頃。いつものように民話集の頁を適当に繰っているときに、見たことがない「じんきち変化(ぼんぜん猿)」という名のおばけを見つけたのがきっかけでした。


 大体以下のような筋のお話でした。


 あるつつみ(池)の土手で、毎晩何かが現れるという噂が広まる。
 噂を聞いた狩人がその変化を見るために待ち伏せていると、夜になって「じんじーん じん じーん」とじんきち(糸車)を回す音が聞こえてくる。音に近づいて行くと、じんきちを抱えた変化がにかっと笑って逃げて行った。

 次の晩、狩人は鉄砲で変化を仕留めようとするが、弾を受けても変化は苦しむ素振りを見せず、じんきちの台を抱えたまま、にかっと笑って去って行った。
 狩人は腕利き女狩人のヤマオさんに相談し、じんきちの車軸を狙うように助言を受ける。

 また次の晩、言われた通りじんきちの車軸を撃つと、変化はガラガラと気味の悪い音を立てながら逃げていった。血痕を追うと穴があり、中から「どうにかして仇をとってくれ。あの狩人はヤマオさんに習ったに違いない」と話し声が聞こえた。

 数年後、すっかり変化のことも忘れていた狩人の家に赤子が生まれる。両親とも仕事があるため、たまたま出会った気立てのいい若い娘に子守を任せることになった。娘はよく働き、何一つ怪しい点はないが、ふと狩人は変化たちの話し声を思い出す。

 親類と神官を招いた子の誕生祝の席で、神官が手を付けぬうちに、神官の膳の汁物から具の魚がなくなっていた。狩人はそこで変化の子守娘への疑いを強める。それから子守娘の様子を観察していると、時々急に姿が見えなくなることがあった。

 る晩、妻子が隣家に湯を借りに行っている間に、狩人は娘を撃ち殺す。変化は24時間経たぬと解けぬというから、間違って人を殺したのではないかと心配しながら、狩人は娘を見つめていた。

 そうして翌日の夕方、娘の死体はぼんぜん猿(年老いた猿)に変わった。
「あの変化はぼんぜん猿だったのか」。あのとき穴の中の話し声を聞いていなければ、いつかじんきち変化のぼんぜん猿に赤子を食われていたかもしれない。

(比江島重孝編『日向の民話 第二集』未来社 より要約)


「じんきち変化(ぼんぜん猿)」というのはあくまで表題にあっただけで、今考えるとおばけの名称かどうかは微妙なところなんですが、それにしても「この名称は見たことない!」という方が何人もおられたため、少し類話などを探してみようという運びとなりました。



2.女猟師のおかね(ヤマオ)さんについて

 確か最初に仰っていたのは氷厘亭氷泉さんだったと思うのですが、「じんきち変化の話に出てくる 女猟師ヤマオさん と 女猟師おかねさん って似てる」といった旨のツイート拝見し、詳細を伺ってみると、どうやら「おかねさん」という人物が化物退治をする、というお話があちこちで見られるとのことでした。


 またその後何件もの糸車おばけに関する記事を発見・情報をお寄せ頂いたのですが、その中に「おかねさん」(あるいはそれに相当する人物)がそこそこの割合で登場していることが分かりました。


 どうやら「おかねさん」が糸車おばけのお話の中で登場する際は、自ら糸車おばけを退治人となる場合と、退治人におばけの弱点を教える役割を担う場合があるようです。



3.糸車おばけの正体と弱点について

 

大日堂で夜に化物が出るという噂が流れる。化物は美少女の姿をして行灯を灯し綿を繰るという。噂を聞きお堂を訪れた若者たちに、少女は笑いかけるとすうっと姿を消したという。

弓の名手宮鼻の岩次郎、矢で少女を射るが娘はやはり笑って消える。

翌晩、再び少女を狙いながら、岩次郎は八幡に祈る。すると八幡の「行灯を狙え」という声が聞こえてくる。

娘を射抜くとその姿は掻き消え、その後高済寺で古狐死んでいるのが見つかった。

(根津富夫編『埼玉の民話』未来社 より要約)

 


 上記は埼玉県で確認した、比較的ベーシックな形の糸車おばけ退治のお話です。日向の「じんきち変化(ぼんぜん猿)」と比べるとかなり単純な筋に見えます。

 単純に糸車おばけの登場するお話、というとかなりの幅があるのですが、糸車おばけを「退治する」お話は、概ね以下のような共通点があるようです。

(1)夜になると糸車を回すおばけが現れる。
(2)普通に銃を撃っても効かない。弱点を攻撃したら死ぬ。
(3)その後正体が現れる。

(1)に出てくるおばけの姿は、ほとんどの場合老婆や娘であるようです。


(2)の弱点に関しては自分で気づく場合と、誰かしらから助言を受ける場合があります。助言者は「おかねさん」であったり、退治人の妻であったりと様々です。弱点は多くの場合糸車の車軸ですが、おばけが廃屋等で目撃されている場合は、おばけの傍らの行灯が弱点であったりもします。


(3)の正体に関しても猿だったり狐だったり様々です。


ひとまず(1)~(3)を糸車おばけ退治の基本話型と仮定します。


4.再び「じんきち変化(ぼんぜん猿)」について
 
「じんきち変化」「ぼんぜん猿」という耳慣れない言葉のためかややこしいですが、先に掲載した日向のじんきち変化のお話にある通り、あくまで「ぼんぜん猿」が年老いた猿、「じんきち」が糸車を指す語にすぎないならば、「じんきち変化のぼんぜん猿」という言葉も、固有名詞的に用いられている訳ではなく、「糸車のおばけになる年老いた猿」といった程度の意味しかないのでしょう。

 少し引っかかるのは、年老いた猿が「じんきち変化(糸車おばけ、娘や老婆ではない)」にも「娘」にも化けていることです。他の話では、娘や老婆が糸車おばけとして現れ、正体は狐狸であったりするのに対し、日向の話だけはぼんぜん猿が化ける姿が二つあります。

 これは恐らく、先述した(1)~(3)の糸車おばけの基本話型に、別の話型が結びついたためと考えられます。そしてその話型は、(1)~(3)の基本話型になくて、日向の「じんきち変化(ぼんぜん猿)」にのみある部分――つまり「じんきち変化(ぼんぜん猿)」から、取り除いてしまえば自ずと見えてくるでしょう。

 先日、筆者が確認した島根県の民話の中に、以下のような筋のお話が含まれていました。

化け物を撃つ→逃げた化け物が他の化け物と敵討の相談してるのを聞く→化物が娘の姿を取って訪ねて来る→娘はしばらく小間使いとして働くが、疑いを持った主人が射殺すると、しばらくして死体が本来の姿となった。

 まさに先述した基本話型に含まれず、「じんきち変化(ぼんぜん猿)」にあった要素であると言えるでしょう。恐らく糸車おばけの基本話型と、この話型が結びついたために、「じんきち変化(ぼんぜん猿)」の話のみ、ぼんぜん猿が複数の姿を取ることになったのではないでしょうか。


5.おわりに


 誠に申し訳ないのですが、島根県の民話に関しては先日流し読みした程度で、まだ手元にないため、詳細を確認することが出来ません。書名等も一旦伏せさせて頂きますが、後日再報告致します。


 また日頃からお世話になっている皆様、糸車おばけに関する情報をお寄せいただいた皆様につきましては、この場を借りて改めてお礼を申し上げます。
 まとまりのない文章で恐縮ですが、ここまでお付き合い頂きありがとうございました。


参考文献
未来社『日本の民話』シリーズ
国際日本文化研究センター『怪異・妖怪伝承データベース』http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiDB2/search.html